たとえば胸騒ぎ

私を構成するいくつかの、あの時と今とこれからと。あるいはそのカケラ。

情熱の行方

 

先日の高校での講義について

学生さん達からの感想がポストに届いていた。

 

つたない私の話の中から

何かしらを感じてくれた若い人たち

 

そこに書かれている素直な言葉に

なんだか

私の方が救われる気持ちになった。

 

読み終え

メールを確認していたら

と或るコトが

今月末で

30年の歴史に一旦幕を下ろす。

そんな知らせが届いていた。

 

私はその方に感動をもらったし

きっかけももらったし

少なからず

これからの自分の選択に影響を与えている。

 

人に感動や影響を与えるということは

簡単なことではないにもかかわらず

情熱をもって取り組んでいることの方向転換を余儀なくされ

このまま続けてはゆけない

断念するに至った気持ちは察して余りある。

 

どんなに素晴らしく

それを失うことによる損失が大きなことがらでも

続けていくことを選べないのは

世の中の仕組みにチカラ及ばず

なんだろうか。

 

自由意志で選択できるチカラを身につけるには

どうずればいいんだろうか。

 

時々

大きなチカラの前に

人は

無力な自分を見せつけられる。

 

メッセージの最後には

「心機一転。原点に戻る。」

とあった。

 

生まれたてのキラキラした光と

それでも進んでいくための命綱のような光。

 

私の中で

決めたことと

まだ決めきれずにいること。

そこに差し込む

道しるべのような

光。

 

変わることと変わらないことが二極化する気配の充満した世界で

自分の光を見つけて進んでゆくことを

希望と呼ぶのだろうか。