たとえば胸騒ぎ

私を構成するいくつかの、あの時と今とこれからと。あるいはそのカケラ。

無色の緑色の考えが猛烈に眠る

 

今年は気合いが入っている。

 

毎日

せっせせっせと

ものを作っている。

 

最近は

仕事場でパーツをつくり

家に帰ってから成形する

というパターンができあがりつつあり

昨夜も

テレビをザッピングしながらBGM代わりに流しつつ

ベッドの上に道具を広げ

チクチクチクと縫っていた。

 

どんどん弱くなる視力のせいで

手元作業には

めがねを外したりかけたりで忙しい。

 

最近好きな番組のひとつ

「人間ってナンだ?〜超AI入門〜」。

 

人工知能が理解する会話のセンテンスについて

ああだこうだとやっていたとき

「無色の緑色の考えが猛烈に眠る」

という言葉が

ふいに

耳に飛び込んで来た。

 

んん??

なんじゃ?

 

思わず手を止め

めがねを探してかける。

 

ノーム・チョムスキー

文法の構造を説明する際に

文法的には正しいけれども

意味をなしていない文の例えとして用いた文

Colorless green ideas sleep furiously.

それの直訳だった。

 

違和感は

いつも私に

発見を連れて来る。

 

予感は的中。

 

会話というのは

共感能力が必要らしい。

 

だから

意味の分からない文章だと

文法的に正しくても

共感のしようがないから

会話が成立しない

と。

 

なるほど。

たしかに。

 

コミュニケーションがとりやすかったり

会話が弾む時には

その相手に

なにかしら

共感しているんだろう。

 

SNSを使うこととかも

まさしくそうなのかもしれない。

 

だけど最近

人と違う

ということが

むしろ

強みになっている気がしている。

 

共感されなくても

楽しめる力。

 

共感されなくても

ブレない力。

 

共感されなくても

なんとも思わない力。

 

テレビ番組にはまらず空気を読まない可愛い女子高生が

アウトデラックスでいじられていた。

 

蛭子能収

ビーバップ!ハイヒール

短い人生を楽しまないと勿体ないから我が道を進むと

真面目な顔で語る。

 

テレビっ子の私は

また今日も

テレビから新しい刺激を受けながら考える。

 

世の中は

たかが私ひとりが経験してきたことでは

理解できないことだらけだ。

 

だから

分かち合えるということは

凍える冬の暖炉のように心を溶かして喜びと安心を与え

異なるカルチャーは

道に迷った時の街灯のように人生の光になるかもしれないと

そう思った。

 

理解できないこと

目に見えないことの奥にこそ

ものごとの真理は隠されているのかもしれない。

 

いつだって

本当のことなんて

少ししか見えちゃいないんだ。