たとえば胸騒ぎ

私を構成するいくつかの、あの時と今とこれからと。あるいはそのカケラ。

彼の日常、私のリアル

 

日本からサイパンへの直行便が5月6日になくなる

というニュース。

 

久々に目にした懐かしい名前に

蘇る記憶。

 

かつては

日本から一番近い南の楽園

とかなんとかいうキャッチコピーで

グアムやサイパンは人気だった。

 

そして時代は移り変わる。

 

はじめての海外ひとり旅はサイパンだった。

 

一度、友達と訪れていたサイパンには

当時、会いたい人が暮らしていて

英語が話せないドキドキヒヤヒヤを抱えながらも

何度かひとりで海を渡った。

 

サイパンの歴史に無知だった私は

あの美しい海と

会いたい人に会えること以外

特に興味はなかった。

 

静かな浜辺で

波の音を聴きながら海を眺めていると

遠く水平線に浮かぶ軍艦が見えた。

「いざという時のために、島を守ってるんだよ」

と教えてくれた。

現実味を持たないその言葉をぼーっと聞きながら

流線型にしなる身体が吸い込まれるようにダイブすると

目の前で水飛沫が光った。

 

サイパンから8km程のところにあるテニアンへは

セスナで行った。

4、5人乗りのセスナは

ドアを閉めないまま飛び怖かったけど

見下ろす海の青さに胸が躍った。

 

カジノもあったりはするけれど

それ以外は

続く草原や

段々と色を濃く変えながら広がる透明な海があれば

それで充分だったし

そんなテニアンが好きだった。

 

海に沈む夕日を眺めながら飲む珈琲は最高だと教えてくれた。

その光景への憧れをうっとりと思い浮かべながら

それを日常にする勇気が今は無いこと程度が

私のリアルだった。

 

島を車で走っていると

道端の雑木林のようなところに

朽ち果てて出番を失った戦車が

所々、おもむろにころがり

所在無さそうに草を絡ませては

息を潜めていた。

 

絵に描いたような

青い空

白い雲

輝く海

それとの違和感。

 

連れてってくれたプンタンサバネタで

「ここは戦争中に日本人が“バンザイ”って言って飛び降りたところ」

と教えてくれた。

その崖に付けられた名前の意味を知って

所在なかったのは私の方だった。

 

日本の歴史もままならない私が

サイパンテニアンの歴史を

もっとちゃんと知っていたら

あの時

あの海の見え方も違ったのだろうか。

 

心がざわめく時は目を瞑って

時々

今でも

あの海の色と日の光と波の音を思い返す。

 

海が魂を浄化するのなら

多くの人の魂を浄化していて欲しい。