たとえば胸騒ぎ

私を構成するいくつかの、あの時と今とこれからと。あるいはそのカケラ。

 

結論が分からず、曖昧なままだったこと。

どうしようかアレコレ思案していて

結論が出せずにいたこと。


そのふたつに

ついに結論が出た。

 

「葦」という字は

「よし」とも

「あし」とも

読む。

 

モノゴト・デキゴトは

同じモノゴト・デキゴトでも

捉え方ひとつで

「よし」と感じたり

「あし」と感じたり

する。

 

つまり

モノゴト・デキゴトの

「よし」「あし」なんて

長い目で見たら変わっちゃうこともあるから

今だけの視点で捉えるのはナンセンス!

 

ほっほ〜と

膝を打ちたくなるくらい

すっと腑に落ちて

ずっと頭を離れずにいる

禅の教えだ。

 

先日訪れた美しい禅寺で触れた禅の世界。

 

まさに

この「結論」たちを受け入れるために

あらかじめ処方された漢方薬のように

いずれ

じわりじわりと染み渡り

生きていくための知恵として

その効力を発揮していくのだろう。