たとえば胸騒ぎ

私を構成するいくつかの、あの時と今とこれからと。あるいはそのカケラ。

鴨方

 

誕生日に

しばらく行けてなかった

おじいちゃんおばあちゃんのお墓参りに行った。 

 

おじいちゃんおばあちゃんのお墓が在る場所は

幼稚園の頃の遊び場でもあったので

懐かしく

心地よい

故郷のような場所だ。

 

そこは

小高い山の中腹で

空が近く広く

木々が青々と茂り

野花が咲き

天草の蓮池や

駅向こうくらいまでの

町内が見渡せた。

 

おじいちゃんが亡くなった後

しばらくしてから

おばあちゃんは

お墓からも見える場所にある

施設に入った。

 

家の事情で

幼稚園の2年間

親元を離れ

おじいちゃんおばあちゃんの家で育てられた私は

親が近くにいなくても寂しくないようにと

何気ない日常を

いっぱい一緒に過ごしてもらったおかげで

小猿のように伸び伸びと

立派な

おじいちゃんおばあちゃんっ子に育った。

 

大好きなおばあちゃんは

トーストを紅茶に浸して食べたり

プロレスと時代劇とニッケ飴が好きだったり

料理や編み物が上手だったりした。

 

死ぬ時は姿を消すといわれる猫たちも

代々必ず

おばあちゃんの膝の上で最後を迎えるほど

猫からも全幅の信頼を得ていた。

 

おじいちゃんとは

しょっちゅう痴話喧嘩をしつつも

ご飯の時は

おじいちゃんが手をつけるまでは

可愛い孫が腹をすかせていても

お預け状態だったし

おじいちゃんには

必ず一品おかずを多く用意する

といった具合に

一家の主をきちんとたてる

明治女だった。

 

外出するときは

出かけたらちゃんと家に無事に帰ってくるんだよ

という想いを込めて

「行ってお帰り」

と見送られ

ご飯を食べるときは

「おあがんせぇ」

ご飯を食べ終わったら

「よろしゅうに」

と言われるのが好きだった。

 

おばあちゃんが施設に入った頃

私は大阪に住んでいたので

時間を見つけては

おばあちゃんの好きなニッケ飴を買って

時々

ひとりでも会いに戻った。

 

在る時

母親と一緒に施設へ行ったら

あんなに賢かったおばあちゃんが

少しだけ

ボケている

ということを

施設の人から聞いた。

 

簡易トイレを使うようにお願いしているんですよ

施設の人が母親に説明する

そのベッド脇に

笑顔で映る孫たちの写真立てと

無造作に置かれた簡易トイレ。

 

違和感。

 

ねぇ、4人部屋だよ。

 

この場所で

おばあちゃんの羞恥心は

どのくらい大切にされているんだろうか。

 

私たちの前で

所在無さそうなおばあちゃんの

まだ残っているであろう

正気の部分のプライドを傷つけているんじゃないかと思うと

なんだかいたたまれなかった。

 

帰り際に

これからおじいちゃんのお墓参りに行くと告げると

一緒に連れて行って欲しいと

こどものように拗ねて

駄々をこねた。

 

遠いし

足が悪いから無理だよ

と言うと

ほんとうに

ほんとうに

悲しそうな顔をしていた。

 

後ろ髪を引かれながら

施設を後にして

駐車場に停めてあった車の中で

母親が

やめていたはずのタバコを

一本ちょうだい

と言ったので

ふたりで並んで

黙ったままタバコを吸った。

 

お墓の山の木々は

手入れをする人を失ったのか

無造作に

もりもりと成長し

蓮池も

おばあちゃんが居た施設も

今はもう

見えなくなっていた。

 

時間の流れが遅く

変化の少ない田舎町でさえ

少しずつ

少しずつ

ゆっくりと時間をかけて

色んなことが変わっていく。

 

でも

思い出は

いつまでたってもあの日のまま

優しい。

 

お墓参りの翌日

1日遅れで誕生日を思い出した母親が

私の好きな

苺のショートケーキを買って来てくれた。

 

ありがとうおかあさん。

美味しかったよ。